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 創刊「路プロジェクト」について

当社では、平成21年7月1日に、わが街・仙台から全国に発信する路(みち)づくり情報紙「路プロジェクト」を創刊致しました。
本紙は、杜の都・仙台の日本一住みやすく美しい街並みを全国にご紹介するとともに、その美しさが足元の安全設計・景観計画から構築されていることを様々な角度(建築学、関係法律学、心理医学、色彩・芸術学)からアプローチ検証・分析し、日本全体の生活安全・景観力を向上させることを目的として情報発信して参ります。
また、各ご専門の先生方に一市民の立場も兼ねて気軽にご登場・ご解説頂き、日本中に楽しい路の輪を拡げて行きます。
ご関心のある方は、是非お気軽に下記までお問合せ下さい。無料送付させて頂きます。
  
 
           (株)センコン内・「路プロジェクト」事務局    03−3553−0573
                                            eohata@sencon.co.jp

            

             【路プロジェクト・バックナンバー】

 創刊夏号 〔NEWS Vol.1〕 「そもそもHEIBANって何?」「フォト!私のお気に入りの路」
 秋       号 〔NEWS Vol.2〕 
           「路会談−震災時の避難移動装置に変身する身の回りの生活道路について〔T〕                                                 −ゲストに弁護士 田路至弘さん(岩田合同法律事務所パートナー)を迎えて」等
 冬       号 〔NEWS Vol.3〕
             「路会談−震災時の避難移動装置に変身する身の回りの生活道路について〔U〕 
                    −ゲストに弁護士 田路至弘さん(岩田合同法律事務所パートナー)を迎えて」等
                     
 新設「路の100当番」について

当社では、平成21年11月1日に、「路」の100当番を立ち上げました。
これは、私たちが普段歩く移動装置である生活道路について、全国の地方自治体に寄せられ公表された声・意見や道路関連情報をご紹介するコーナーで、当社は「路(みち)の救急&予防隊」として生活道路の改善および整備の推進活動に取り組んでいきます。また気になる路の症状につきましてもご紹介して参ります。



交通安全白書によると(21年版)、わが国の人身事故件数は、主要欧米諸国の中で1位のアメリカの1,785,000人に次ぐ第2位の832,454人です(2007年度調査比較)。3位はドイツの335,845人、4位がイタリアの238,124人、5位がイギリスの188,105人、6位がフランスの81,272人という結果になっています。


その中で、わが国の歩行中の死者数は2,209人の2位で、1位がアメリカの4.784人、3位がイタリアの710人、4位がドイツの695人、5位がイギリスの663人、6位がフランスの561人となっています。また、わが国の自転車の死者数は、989人の1位で、2位がアメリカの773人、3位がドイツの425人、4位がイタリアの296人、5位がフランスの142人、6位がイギリスの138人となっています。


わが国と欧米諸国(アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス及びスウェーデン)の状態別交通事故死者数の状況を見ると、わが国の特徴は、乗用車乗車中の死者数の構成率が低く、歩行中の死者数(33.3%)と自転車乗車中の死者数(14.9%)の構成率が他の国に比べてダントツに高い結果になっています。ご参考までに、他の国の歩行中の死者数の構成率は、アメリカ(11.2%)、ドイツ(14.0%)、イギリス(18.2%)、フランス(12.1%)、スウェーデン(12.3%)となっており、自転車乗車中の死者数の構成率は、アメリカ(1.8%)、ドイツ(8.6%)、イギリス(3.8%)、フランス(3.11%)、スウェーデン(7.0%)となっています。


この数値から、わが国の歩行者及び自転車乗車者は、比較した欧米諸国の中でも危険性の高い移動装置(道路)を利用していることがわかります。


また、鈴鹿市が、2009年2月9日(月)〜2月15日(日)の7日間、同市の生活道路の整備状況について、インターネットアンケートを実施いたしました。配信者数5391人中、440人から回答を頂き、その主な内容が公開されています。その一部を下記にご紹介します。


・車通りが多いわりに道が狭い所が多いので、自転車に乗る時に危ないので困ります。(33歳 女性)
・大型ショッピングセンターがあり休日は大渋滞。生活道路なので非常に困ってます。(68歳 男性)
・年度末になると、駆け込みのようにあちこちが渋滞します。綺麗に舗装されれば文句もないのですが、つぎはぎです。正直税金の無駄に思います。(43歳 女性)
・道路は自動車は走りやすいことばかりで、歩行者、自転車のことはほとんど考慮されていません。生活道路であっても自動車は速度を落とすことなく走っています。生活道路ではあえて自動車が走りにくくする、狭い道は一方通行や通行規制をするなど、交通弱者を優先した道路整備を希望します。(47歳 男性)
・子供達が安全に通れる歩道が欲しい。(38歳 女性)
・子どもの通学路を整備してほしい。広い道路ばかり整備する必要があるのか?(38歳 女性)
・交通量が多い道路に歩道が整備されていない所がまだたくさんある。子どもを守るためにも、悲惨な事故を起こさないようにするために歩道の整備をお願いします。(37歳 男性)
・歩道、自転車道が完備されていない。側溝に蓋がないところがある。工事後のアスファルトがでこぼこ。(49歳 男性)
・朝夕の渋滞解消のためにも、新しく道路を造って欲しいと思います。(51歳 女性)
舗装状態が悪い。(38歳 男性)
・最近は相当、足が不自由そうなお年寄りをよくみかけます。乳母車のようなものを押していますが、ほんの少しの段差の歩道にも上がれない様子をよくみます。(43歳 女性)
・消防法で定められた道幅の確保を計画的に進めて頂きたい。(45歳 男性)
・主道路が細切れで連続していない。中勢道路は全然だし、朝夕のラッシュアワーはすごい渋滞。信号が青でも進まない。(53歳 男性)
・自宅前の狭い道路を朝夕の通勤時に幹線道路への抜け道として進入してくる車両が数多く見受けられる。(53歳 男性)
・自動車の運転に関しては、もう今では舗装されている道路が探すのが難しいくらいで快適に走ることが出来、ありがたいなあと思っています、一方で、歩行者の立場からは歩道の整備をしてほしいと思う道路が時々あります。用地買収や拡幅工事ではお金がかかると思いますが、自動車用の市道整備は後回しで、歩道優先でもいいんじゃないでしょうか。(50歳 女性)
・車通行に関して言えば、幹線道路については不満がありませんが、一本裏道は路肩の弱さ道路幅の狭さを感じます。二本裏道となれば恐怖で通る気にもなれません。各所の一方通行規制を強く望みます。結果、歩行者側から見ても裏道は車道と歩道の区別も曖昧で、危険極まりないと感じます。(56歳 男性)
・道が狭いのに電信柱の出っ張りがあるから、幅寄せは、どこの位置かと迷う時がある。(35歳 女性)
・車道の整備に対して歩道の整備は軽視されている。アスファルト面がゆがんでいたり、亀裂が亀甲状に無数にあっても、放置されている箇所が多々ある。担当課の方は、実際に子供達の通学路を全部歩かずに、一部だけ歩いて判断している。義務教育期間の9年間、そこを歩く子供達の気持ちを良く考えて、整備してほしい。(44歳 男性)
・道路工事は、手早く進めて欲しい!工事が中途半端な状態で終わっているのが多く迷惑している(54歳 男性)
・いつまで経っても補修されない道路があります(37歳 女性)
・歩道が狭い箇所が多々あり、夜間は街灯が少ないため犯罪が起こりやすいのではないか。(29歳 男性)
・雨が降ると水がはける速度が遅く児童の通学路や市道の隅まで冠水状態になるときが多い。(49歳 女性)

 街・路づくり BOOK情報

「景観からの道づくりー基礎から学ぶ道路景観の理論と実践」(堀 繁 講話集)
   編集・発行  財団法人 道路環境研究所
   発 売  大成出版社 定価 本体3,200円(税別) 2008年3月29日(第1版 第1刷)


ブックレビュー

質問者:景観が大事だと思っている人がマニュアルを読んでみて「ああ、そうか」とわかるのは結構あると思うのですけれども、「そもそも景観なんて考えなくてはもいいんじゃないか」という人も結構いると思うのです。環境などでいうと、「環境については考えなあかん」という外圧が割合あって、それで「環境について少し勉強してみようかな」という人も結構いるのですが、景観だと「まあ、別にやっても生き死に関係ないし、お金をかけてもう少しきれいなデザインにしても」というような人が結構いる中で、そういう人に「ちょっとこうしてみようか」とか、そういうふうに思わせるいい手だてがというか、いろいろPRされるコツなども含めて教えて頂ければと思います。
堀先生:景観を整えるとそこの地域が儲かるんのです。地域の活性化のものすごく大事な道具になるのです。これは、今までの景観であまり触れて来ていないことなのですけれども、私がずっとやっている景観整備というのは、私はもちろんデザイン、計画とかやりますけれども、人が来るようになるのです。この講話シリーズの最後のほうで、こういうふうにやってこうなったという事例をお見せしますけれども、地域の人たちの元気が違ってきます。一番大切なことは、地域の活性化に景観が結びついているということなのです。今日見て頂いておわかりのように、いい景観のほうに人が集まると思うでしょう。ということは、景観を整えてやれば人が行くのです。そして、地域が潤います。ですから、単なる景観整備ではなく、地域を良くする、地域の経済を活性化する、あるいは観光地を再度盛り立てるということですから、それでも嫌だという人は公共事業をやる資格がないと思います(笑声)。

第U部 街路と景観
 10.アプローチ空間としての道路
(略)商店街のときにはスムーズにお店に入れるよう道が整備されていないと駄目です。例えば、歩車道境界にガードレールとか作ったりしますよね。家の前のところにも、お金が余っているんですかね、ガードレールがつけられますが、あれは建物と道を分断していくのです。道がアプローチ空間にならなくなってしまうのです。商店街では致命的になりかねません。(略)観光地もそうですけれども、街路と沿道の建物のお店の一体化をいかに果たしていくかというのが、実は商店街とか観光地の活性化の極めて重要なポイントになります。(略)お店のアプローチ空間として実際に道があります。店先を眺めながら、あるいは店の中を覗きながら街を歩くというのは、これは明らかに移動装置としての役割ではないでしょう。これはお店へのアプローチ空間です。こうした空間は、もちろん一体として見られますから、一体感をどうやって作っていくかというのが非常に重要です。


「編集後記」(Society of All 誌)
   書き人 八藤後 猛  日本大学理工学部建築学科
   発 行 日本障害者協議会bR29 2008年11月号

ブックレビュー
 
今夏はじめて北欧に行ってきました。4カ国いろいろな都市で、鉄道駅や地下鉄では、あたりまえのように年季の入ったエレベーターが付いていて、「さすが歴史が違うな」などと感心することしばし。そこで見る光景は、電車が着くとはじめに飛び出してくるのはベビーカーの集団。すごいスピードで、エレベーターへまっしぐらです。そのあとを、杖を使った高齢者や車いす使用者がゆっくりと列の後につきます。最後の電動車いす使用者がエレベーターに乗れるのは3〜4巡くらいでしょうか。私はそれをみて、日本ではあり得ない光景だと思いました。また、障害を持つ人を弱者と決めつけない、ある意味「ノーマラゼーション」が到達した社会なのかなと、そのときは感心しておりました。

ところが、ストックホルム市の地下鉄では、駅の階段に階段と同じ傾斜で2本のスロープがつけられて います。スロープの材料や固定されているモルタルが新しく、つい最近つけられたようです。この危険な?スロープをベビーカーは、上下していきます。これはつい最近、エレベーターからベビーカーが排除されたことがわかりました。わかりやすくいうと、のさばりすぎたということでしょうか。

日本に帰ってから、交通問題に詳しい方にこれを話したところ「日本でもいまから検討したほうがいい」 と言われました。でも私は、違う考えを持っています。最近の鉄道車両のドアにベビーカーがはさまるという複数の事故、対策が後手にまわって、車いすでも起こりうる事故の先陣をきってもらっているとも思えます。ストックホルムのようにしなければならない事態が起こるような、むしろそんな社会を目標にしてもいいのかなと思っています。

編集後記の後記
この執筆のあと、日本でも駅のエレベーターでベビーカーの後ろに、車いす使用者がいるという光景を見ました。たまたま会議でお会いした電動車いす使用の人に「こんなことってよくある?」と聞いたら「しょっちゅう」だそうです。わずかのあいだに、思っているより日本は進んでいた(笑印)。  


   
  
「東京工業大学 中村良夫 名誉教授
  −デザインを生んだ。市民が育てた−都市の河川に景観を、太田川河川整備−」
   書き人  鈴木 学  国土技術政策総合研究所建設経済研究室主任研究官
   発 行   土木学会誌vol.92 no.11 
   

 ブックレビュー 
    
”水の都”広島を流れる太田川。市内中心部の基町地区に、殺伐とした都市空間と融和した河川空間が、市民の憩いの場として親しまれています。この河川空間の整備が始まったのは1979(昭和54年)。まだ日本の河川整備が治水重視で景観への配慮がほとんど行われていない時代のことでした。
 後に評価が高まり、2003(平成15年)年度に土木学会デザイン賞の特別賞を受賞したこの取組みは、河川整備の新たな方向性を導き出したと言えるもので、東京工業大学名誉教授の中村良夫氏の熱い思いが込められています。

 当時の広島市では、河川を中心とした都市景観づくりをしたいと考えていました。しかし太田川の派川は、国と県の管理となっていて、市では直接どうすることもできませんでした。
 その意をくんだ建設省太田川工事事務所の山本所長(当時)は、景観デザイン研究の第一人者であった中村良夫氏に調査依頼を行うことにしました。
 中村氏がその依頼を受けたのは、東京工業大学に赴任して間もない1976(昭和51)年4月のことでした。景観の研究を始めて約10年が経過していましたが、それまでの研究は調査や理論を中心としたもので、「実際にデザインをやりたい」という思いが高まってきていたときでした。
 太田川工事事務所から受け取った手紙は、広島市内の景観に関する市民意識調査、分析を依頼するものであり、そこにはデザインの実施について明確に何も書いてありませんでした。しかし、「これは、明らかにデザインに結びつく!」と感じた中村氏は、引き受けることにしました。
 はじめの2年間は、都市のイメージに関しての意識調査を行いました。この調査は当時大学院生だった北村眞一氏(現・山梨大学教授)らの実際の研究・教育活動の舞台となり、デザインのできる人材の育成にもつながっていきました。
 調査の結果、「河川がとても重要な意味を持っている」こと、「原爆ドームの上下流にかけてが特にポイントである」ことが明らかになりました。中村氏は、河川空間を「デザインをすべき」と山本所長に伝えました。ちょうどその頃、基町地区に残っていた、不法占拠住宅が焼失する事故が起こったことで、早期に整備を行う必要もあり、山本所長は高水敷をデザインすることを決断しました。そして設計を全面的に中村氏に委託することになりました。

 中村氏が主張した基町地区のデザインは、当時の河川行政の常識を打ち破るものでした。治水上は撤去することが望ましいといわれていた水制工の保存や、高水敷にあったシンボルとなるポプラの保存などです。
中村氏は、「事務所長にはよく理解をしてもらったのだけれど、現場に近づくにつれ意見が合わなかった。特に現場の総責任者であった工務課長とは、かなりやり合った」と振り返ります。「しかし、工務課長も最終的には納得してくれたし、ときにはその場で布団籠を設置する判断を下すなど、議論をしていてこちらも非常に勉強になった」。
 ランドスケープは図面では表しきれないため、デザイナーとして信念を貫き通すために工事中も毎週のように現場に通い続けました。その情熱と実務を一番知っている工務課長との両者のプロとしての妥協のない議論が、現在のすばらしい河川空間をつくり上げたといえるのではないでしょうか。
 
 現在の太田川には、中村氏が保存を主張したポプラの木があり、市民に親しまれています。2004(平成16)年台風18号の強風で一度は根元から倒れてしまいましたが、市民の熱意により手入れがされ、現地に戻されました。市民の活動はその後もいっそう盛り上がり、次世代の樹木の育成などの活動がおこなれています。
 さらに河川空間の解放もいち早く行われ、派川の京橋川沿川ではオープンカフェが賑わいを見せています。中村氏は、河川景観ではなく都市景観のなかの河川としての整備の必要性を強く訴えています。「当時は、行政間の調整もうまくできずに残念に思うことも多かったが、、市民活動もだいぶ一体的な整備ができるようになってきた」と語ります。「今後はもっと行政の縦割りを外した総合的なプロジェクトに取り組むことを考えれば、土木はもっとやることがある」と指摘しています。
 太田川のデザインは、その美しさに一見とらわれがちですが、デザインの背景にある「市民意識の十分な把握」、「内部空間のみでなく周辺の歴史、景観などとの一体化されたコンセプト」の実現という、こだわりの詰まったものだと痛感しました。


「国士学事始め」
    著 書  大石久和 
    発 売  毎日新聞社  定価本体1,600円(税別) 2007年4月5日(第5刷)

ブックレビュー


東北を代表する大河川である北上川を見てみよう。この河川は、伊達正宗が改修する以前は追波湾において、太平洋に注ぐ河川であった。北上川は現在では石巻湾にも注いでいる。

これは1600年代に伊達正宗の指示により、北上川を江戸や仙台への物流ネットワークとして使うため、北上川の流路を新たに石巻湾へ開削し、舟が金華山を越えて太平洋を北上して北上川に入るという太平洋の荒波にみまわれる危険性・不便さを解消したものである。これにより太平洋に出ることなく、江戸方面などから石巻湾に至って北上川を通り、仙台の裏手の方にまわる舟運が可能となったのである。こういった舟運ネットワークの整備と併せて、この開削による湿地帯の耕地化によって新田開発がなされている。記録によると、この事業は1623年から26年の間に川村孫兵衛重吉が正宗の命を受けて行ったもので、新田開発の規模としては33万石という大名が一人生まれるほどの新たな耕地面積を生み出したといわれている。伊達藩も江戸時代を迎えるにあたって、これだけの努力をすることによって、仙台を中心とした伊達藩の繁栄の基礎を築いたのである。
                          (中 略)
「人間の顔が生まれたままのものではないのと同じく、耕される土地もまた、このように、自然によって与えられたままのものではない。国土は、そういう意味において、国民自身によって造られたものである。吾々はこの日本の国土を、祖先から受けて、子孫に伝える。鴎外が生まれたままの顔を持って死ぬのは恥だ、といったように吾々もこの国土を、吾々が受け取ったままのものとして子孫に遣うのは、恥じなければならぬ。法律や制度や文物一切の如き、抽象物の事柄は姑らく惜く。少なくとも吾々の目で見、手で触れられるこの国土の山川草木を受け取ったそのままの形で、子孫に遣うのは不真面目なことではないか。吾々はそれらを前代から受け継いだよりも好いものとして、これを次代に引き渡さなくては済むまい。」


 
「街の美しさは足元から ーみなさんが暮らす日本の街は美しいですか?」(論文)
    執筆者 飯田義彦  京都大学大学院 地球環境学舎 環境マネジメント専攻
                 景観生態保全論分野  修士課程二回生(2008年)


ブックレビュー

新景観政策で打ち出された建物等の規制は確かに意味があり、建物群のスカイラインを美しくする効果がある。しかし、観察の主体者はある場所に立っており、本当の景観を考えるならば目線の高さにも気を配る必要があるだろう。主体の立っている場所で足元の「路」が乱雑としていれば、その景観の価値は下がるというものではないだろうか。逆に、美しさのある「路」があれば中空の景観はさらに引き立つだろであろう。
                         (中 略)
京都は、1200有余年の歴史を持ち、数多くの建造物群が歴史的な遺産として引き継がれてきた。これは戦災や災害を免れてきたということもあろうが、修理修繕といったメンテナンス事業が発達していたからこその賜物であると考えられる。街の美しさを保つためにも、このようなメンテナンスの街としての京都の伝統を継承し、さらに推し進めていく必要がある。われわれはメンテナンスに資金をかけるという発想を持たなければならない。行政には、「路」の美しさを失わせるような虫食い的な工事をやめさせ、美しさに配慮した舗装までも考慮に入れる「路」メンテナンスを事業化していく役割が期待される。美しい新規の公共土木事業よりも、これまでにつくられてきた建造物や道路を美しくメンテナンスし、「界隈」を美しく保つ事業に転換するするべきである。洗練された都市計画よりも都市のメンテナンス技術、取組み組織をいかにつくっていくかが重要な意味をもってくる。

第2に「路」メンテナンスのマネジメントの総合化が必要である。美しい街や景観の基盤となる足元のメンテナンスを総合的に扱う体制を検討しなければならない。公共道路には、水道、下水道、電気、ガス、電話など多くの利害関係者がいるにもかかわらず一体的な道路のメンテナンスは考えられていないのであろうか。縦割り行政の弊害が「路」の景観にも現れていると考えられる。景観問題や環境問題とも絡み道路のメンテナンスを総合的にマネジメントする体制が望まれる。具体的にはライフライン工事はもちろんのこと、路面舗装へのリサイクル製品の導入、透水性や安全性、色彩を考慮した舗装技術の適用、街路樹の植栽や剪定の管理などを幅広いメンテナンスを総合的に統括していく組織づくりが望まれる。


道路交通−作ったら使おう、使えるように作ろう−
  書き人 家田 仁  東京大学社会基盤学教授
  発 刊 交通工学 増刊号vol.38 

 ブックレビュー

1.おたくの道路、使えますか?
 「あいつは使えんナー」なんてことをよくいう。何かというときにもう一つ役に立たない奴のことである。では、われわれの道路は十分「使える」ものになっていると自信を持って言えるだろうか。率直にいって、残念ながらあまりボジティブな成績をつけにくい。いかがであろうか。
 その理由の一つには、確かに、あるべき道路があるべきところに未だできていないことがある。しかし、一方で既に出来上がっている道路が使えるものとして十全の機能を発揮しているのか、コストを含め十全の機能を発揮できるように、技術面・制度面で工夫を凝らして作られてきたのかというと、やはり疑問の余地が少なくない。本稿はここら辺のことをザックバランに述べることにしたい。

2.こんな道路だと「使える」と思いませんか?
 どんな道路で「使えるナー」と感じるか。海外でドライなどした時に筆者が切実に感じる例をいくつか挙げてみよう。
(1)「頭のいい」交通信号:
 ヨーロッパの街で感じるのが信号機の圧倒的な「頭の良さ」だ。次から次へと「青」を出してくれるオフセットのあまりに見事な制御、特に信号機に表示された速度で走ると「青」で継続的に走らせてくれる速度指示型のオフセット制御は賢い。たまには停止して地図を見たいと思っても止まらせてくれないほど。わが国の半分程度の短さのサイクルタイムも損失時間や環境負荷の面で大変優秀。「赤+黄」や「青+黄」といった予告現示によるロス時間と心理的負荷軽減も良い。

(2)心憎い横断歩道の工夫:
 リンボウ先生こと林望さんが著書の中で、工夫を凝らした英国の横断歩道を褒めていたが、同感だ。視認性向上のための照明デザイン、前後の厳格な駐車規制、歩行者にとっても自動車にとっても具合の良い二段渡り方式など。全般に英国の工夫はうならせるものが多い。

(3)「大人社会」のラウンドバウト:
 交通量のあまり多くない限り、時間的にも環境負荷的にも濃路津的なラウンダバウトは、ヨーロッパでは信号機以上に一般的。速度をそこそこに抑制せざる得ないから、慣れさえすれば安全上もメリットが多かろう。「なるべく止まらせない」という方針の見事さ、ユーザーを「紳士」と想定する計画思想にも「大人」を感じる。

(4)エンジニアリング・センスに富んだETC活用道路:
 トロントの有料高速道路ETR407号線は、速度制御もなく本線上の複数レーンで使えるETCをフルに活用し、簡単なダイヤモンド型のICを極めて多数設けている。車載器を持たない車にはナンバー読み取りカメラで車の保有者に課金するので完全無人化・システムもなるべく安くという発想。「使える」ということをフルに意識して作ると道路はこんな具合になるという好例だ。

(5)世知辛いアウトバーンの補修工事:
 補修工事の際には、臨時に路側帯をつぶし車線幅員もギリギリまでいじめて車線数を確保し、渋滞発生を極力抑制する。さらに、移動可能なブロックを使って分離帯を動かし反対車線の幅員も最大限に有効活用。

(6)賢い道路空間配分と上空利用:
 あの狭い国土のオランダや道路の狭いロンドンでも、車道をいじめて(歩道ではなく!)キチンと自転車通行帯を確保。場所によっては、交差点の停止線でも自転車通行帯を確保。場所によっては、交差点の停止線でも自転車優先化。違法駐車の取締まりも徹底。オランダの都市では、道路上空を商業・住宅・オフィスビルなどに活用するビルや経済的な活用にも極めて積極的。

3.なぜだ?なんでなんだろー?
 技術を駆使した長大橋梁や環境対策、高速道路のキチンとしたメンテナンス、迅速な道路整備に大いに貢献してきた道路特定財源、ユーザーが安心して使えるSAや道の駅、、、等、わが国も褒めたいところも少なくない。
 しかし、道路交通に関するある面、特にいかに「道路を使う」かという面についていうと、技術面でも制度面でもどうしても「工夫が足りない」という気がしてならない。輸送分野でわが国が世界の最先端にいる領域も決して少なくないのだが、少なくとも「道路を使う」という面において世界の最高峰にいるとはちょっと言いにくい。
 ではいったいどうして、こういうような現状になっているのであろうか。一つには、行政におけるある種の「完璧主義」があろうと思う。例えば、ETCにしても、もう少々性能を落としてもコストを下げ急速な普及を図るというチョイスがあったはずである。この「完璧主義」は、ある面、何がなんでも管理側に責任を押し付けがちなユーザー(と裁判官)に象徴される世論に帰することができようが、「完璧主義」は同時に「ことなかれ主義」とも裏腹のような気がする。「エンジニアリング的なバランス感覚」や「ものごとの改善意欲」、「(お金がない中であっても)常に世界のトップを狙うガッツ」の不足も課題かもしれない。

4.「使える道路」への3つのポイント
 ではどうしたら、施設や予算より効果的に活用してユーザーに喜んでもらえる、「使える道路」という方向に進路をきることができるだろうか。筆者は次の3点を強調したい。

(1)道路の性能をシステマティックに評価する:
 性能の評価のないところに、向上と発展もない。筆者が提唱してきた「道路(交通)パフォーマンスマネジメント」は、個々の道路をユーザーサービスに密接に結び付けた具体的な評価指標を用いて評価・公開、それに基づいて改善計画を立案、必要に応じて新規の道路整備、、、を進めるサイクリックな方法論。いろいろな分野の管理者が入って総合的に進めるところがポイントであり、英国のRMSはその先行事例の一つである。

(2)道路関係業務のの計画と業績評価に活かす:
 アウトカム型の行政マネジメントの導入は、「使える道路」を作っていくためにも歓迎すべき方向。ただし、重要な点は、そうした行政マネジメント手法を十分に地に足の着いた具体的な道路区間の「パフォーマンスマネジメント」に立脚して、説得力と納得をともなったものとして進めることだろう。

(3)ユーザーや沿道住民との協同型マネジメントを進める:
 道路交通は、いわばサービス業、ユーザーあってのもの。また、道路のユーザーとは何もドライバーばかりではなく、歩行者や自転車利用者、あるいは沿道空間を利用する人たちつまり1億3,000万人みんなであることを十分に認識すべき。その上で、広義のユーザーとの協働の体制の下にニーズの把握や問題意識の共有化を通じて、マネジメントの協働化を図るべき。

5.おわりに〜欲しいのは「使える道路」
 道路に対する世間の風当たりが強い。その一つのベースは要するに、欲しいのは「使える道路」ということに尽きるのではないだろうか。昨年、道路文科会より、「今、転換の時」という中間答申が出され、また全国各地で「転換」に向けていろいろな試しがなされている。新潟で行われた高速道路の短距離半額実験は、「みんなが得をする」という目覚ましい成果を挙げた。少しずつではあるが明らかに良い方向に向かっている。要はそうした改善の試みをいかにシステマティックなものに組み上げ、そして加速させていくかである。

 最後になるが、交通工学研究会にも一つ提案したい。「使える道路」特別賞というものを設けて、工夫を凝らして過去の慣習を打ち破り成果を挙げた試みを称えてはどうか。早急に実現を期待したい。
 恩師の越正毅東大名誉教授の言葉であるが、「サイクルタイムと文化程度は反比例する」という。けだし名言である。大人社会の「仕える道路」に向けて、技術とマインドを結集したい。




 論説・「道楽」のススメ−道路に求められるもう一つの機能−
   書き人  家田 仁 東京大学社会基盤学 教授
   発 行  道路建設bU73 2004.2


 ブッククレビュー

 
道路行政や道路施策が大きな転換点を迎えている。その中には、道路に関わる人たちによる自発的な転換もあれば、世論やマスコミなどからの外圧を契機とした変革もある。実際、事業評価への総合的評価手法の導入、市民参画型の道路計画や道路管理、あるいは最近開始された成果重視型の道路行政スタイルなどが導入されていることは、読者諸兄もよくご存じのとおりだ。筆者もアウトカム指標を用いた道路政策をお手伝いしたり、あるいは本誌にも紹介したことがあるが「道路パフォーマンスマネジメント」手法の導入を提唱しているところである。これらの種々の変革方策のキーワードをまとめるとするならば、顧客の重視、顧客との協働アクティビティ、「投入」よりも「成果」の重視、「作る」よりも「使う」の重視、評価・診断・意思決定の合理化と透明化、といったところでだろうか。

 そんなわけで、ここのところ道路行政マネジメント手法のシンポジウムなどに参加して話をしたり、行政や民間の道路関係者と意見を交換したりすることも少なくない。そうした中で、マネジメント改革について感じるところを少々述べよう。
 第一は、マネジメントの手法が十分に地に足の着いた即地性・具体性の高いものではならないことだ。アウトカム指標にしても、現場が「上からやらされている」と感じるようなものでは効果は薄く、むしろ現場が具体的なニーズを上位の意思決定機関に持ち上げる仕組みという側面を強化する必要があることだ。その際に、極力エンジニアリング的な合理的方法論を用いることは言うまでもない。
 第二は、従来「道路」というものが暗黙の守備範囲としてきた領域から外側へと極力滲みだし、これまでの境界領域として看過されてきた分野の改善にまで射程を拡大し、道路行政のマネジメントをを総合化する必要があることだ。沿道の土地利用、景観管理、交通運用の性能評価、踏切など、新たに意識すべき対象は極めて多い。
 第三は、これまでともすると連動性や関連性の少なくなりがちな、「道路の整備」と「道路の管理」の業務を仕事の仕組みの上でも、行政の意識の上でも十分に連続的で一体的なものへと転換することだ。このことは、飲み水の供給と並んで、人々の日常生活に最も直結したインフラである「道路」と「顧客」との利用ニーズに目を向ける上で極めて本質的である。

 こういったあたりは、道路マネジメント体系を改善していく中で、今後十分に配慮していただきたいところだ。しかし、マネジメント手法の改善に取り組んでいる実務の方々と接してみて感じたことがもう一つある。国土交通省が作った17項目の評価指標にもいえることなのだが、それは「楽しみ「」の要素が少なすぎることである。
 しかし、道路という空間は、何も物の運送や人の移動などといった経済活動に派生的に生じる輸送のためだけにあるのではない。観光などでは、道路空間にいる時間そものもが生活やいろいろな遊びを含めた交通活動の空間として充実することも必要である。
 例えば、次のような例が挙げられよう。
●日常的な交流の場(例:路地などでの子供の遊びや沿道ののちょっとしたポケットパークが住民の憩いの空間になっているケース)
●一次的な商いや飲食の場(例:露店商、各種屋台、オープンカフェ、フリーマーケットなど)
●祭りや文化の場(例:東北の祭りをはじめ多数、ストリートパフォーマンス)
●「遊びの移動」の場(例:駅伝やマラソン、自転車レース、歴史的道路のウォーキングイベント、オンロード自動車レース)
●「美しい移動」の場(例:シーニックルート整備)

 これらをまとめると「道楽」ということになろう。河川の世界は、治水や利水が一定程度進み、顧客である国民の意識が自然志向・環境志向へと転換する中で、「川と親しむ」あるいは「川で遊ぶ」という要素を重視する方向へと大きな舵を切っている。
 道路は、国民ののほぼ全員が毎日1回は使う基礎インフラである。大いに道楽者を育成すべきではないだろうか。



「木下研究室−シリーズ・いま研究室では」
  駿建1976年4号(通巻12号) 日本大学紀要


ブックレビュー

昭和28年頃には、将来の日本の老齢人口急増による老齢化社会への移行にともなう問題提起をし、老齢者のための建築施設、設備の充実に建築計画の分野で初めて足を踏み入れることとになった。これを契機に老人施設、Rehabiritation施設、精神薄弱者(児)施設等の研究を進めて行くようになった。
                        (中 略)
「車いす使用者が所要のため、市役所に行くことになった。自宅から市役所まではさほど遠くない距離なので散歩がてらのんびりと出かけた。途中、横断歩道を数カ所渡らなければならなかったが、歩道と車道との段差切り下げが施してあったのでどうにか市役所の入口までたどりつくことができた。しかし、いざ建物内に入ろうとして彼は当惑した。玄関入口に、2、3階の階段があるのではないか!!道路上の数pの段はどうにか克服してここまで来たが、2、3段も続くと目の前に大きな壁があるのと全く同じこと。今日はどうしても用を足さなくてはならない。だれかに手伝ってもらおうと思ったが、困っている彼を見ぬふりをしてさっさと行ってしまう。こういうところにスロープがあったなら、と考えながら途方に暮れていると、守衛さんが気がついてくれて二人がかりで車いすごと運び上げてくれた。お礼をいいながら自分の目的場所に段差なしで行く順路を聞きだす。なにしろ床面に段があれば車いすでは進めなくなってしまうからだ。窓口に行ってもカウンターが高くて、字も満足に書けないし、書類も受け取るにも不便に感じた。帰り際に車いすのまま使用できる(車いす用便所)があるかなと思って探してみても見当たらなかった。自分は家が近いからよいけれども、遠くから来る人は困るだろうな、いや、自分がどこか遠くに出かける時に車いす用便所がないと困るから、やはり外出するときは、いままでのように前の日から水分を控えなければならないのか・・・・・と考えて彼はゆううつになった。」

「彼女は盲人であるか、施設で職業訓練を受け、今ではある会社の電話交換手をしている。施設にいる時に歩行訓練も受けているので、通勤や電車やバスを乗り継がねばならないが、馴れている場所ならば付き添いなしでも歩行できる。そんな彼女でも道路上の障害物の多いのには泣かされるという。たとえば電柱、街灯、立看板、ふたのない側溝、店先の品物、駐車中の自動車など、晴眼者(目の見える人)には何でもないものが盲人の行動を大きく妨げている。また歩道だけに限らず建物に関しても、まず建物の位置が確認しにくいこと、建物の中に入っても廊下に柱型が出ていたり、消火栓ボックスのように壁面から突出しているもの、中途半端に開いている戸なども非常に危険だし、また階段で、まわり階段、らせん階段のように踏面の寸法が内側と外側が変わるのは、踏みはずす恐れが大きいといわざる得ない。一人歩きの盲人は、ほとんどの人がホームから落ちた経験をもつといわれるほど、私たちの身の廻りは危険であり、毎日、毎日死と直面したような状態です」。
                        (中 略)
当研究室では、障害者、老人、子供達の生活環境(住宅、交通、都市環境、社会福祉施設等)について研究をしている。研究の基本方針は、福祉あるいは慈善といった観点からではなく、「全ての市民は法の下に平等である。」にも拘らず、必ずしもそうではない。いろいろと就職、教育に平等にチャンスを与えられていない。その原因の一つに冒頭の引用文で述べたように、「現在多くの建築的障害(Architectual Barriers)がある。そこで、これらを取り除き障害者が健常者と同じような日常生活を営みたいという望みを保障していく、さらに障害者のためにするのではなく障害者にも利用できる環境を作りだすことを考え研究している。ただし、最近では物的環境(ハード・ウエア)面だけでは本来の解決はなく、人的環境(ソフト・ウエア)との関連で考えていかねばならないと痛感している。

広い意味での社会福祉と建築の係りは、いわゆる生活行動面での弱者が社会復帰(Rehabilitate )ための手段としての建築物とその施設体系、完全な生活を営むことのできる労働、職場施設、住居、周辺環境、その他重度な障害者のための収容施設の多岐に渡っている。これらの施設は一つのフローの中にあり、この一つが欠けてもその流れは停滞し個々の施設を麻痺すると考えてられる。我々は老人、心身障害者、子供などの社会的なハンディキャップ(Handicap)を負っている人々の障害を取り除き暖かな社会を構築する一つの手段である、物理的環境を改善できる立場にいるといえよう。
故にこの分野は建築、特に設計計画、施工に携るものにとって必ずや必要になることである。ことに細分化された各種建築設計計画の共通基盤の一つに人体寸法、行動特性、能力、意識の問題があり、従来のモデュールの検討を行動分析、例えば物理的特性、筋電、脳波、心電といった生理特性、心理的側面その他の学問的領域の研究をとり入れて総合的に行い、生活空間の再評価を試みようとしている。


「人間のための街路」
 著 者  B・ルドフスキー  平良敬一・岡野一宇 訳
 発 行  鹿島出版社  定価 本体3,800円(税別) 2003年4月20日(第12刷) 

ブックレビュー

ルドフスキーは読者を、西欧文明を覗くためのバックミラーであるイタリアをはじめ、ヨーロッパ、アジア、アフリカに及ぶ10余の国々の街路とそこに営まれる豊かに人間的な生活へと招待する。

街路は単なる道路ではない。まして自動車のための道路ではない。街路は歩行する人間のためにある。道路はただ車のために機能すればよく、したがって単純なほどよいであろう。これに反して街路は、人間のための存在であることによって、多様で複雑な諸機能を発生させ、むしろそれらの機能の共存にこそ街路の街路たる所以があると考えられる。しかも街路は、それらの諸機能の共存という一次的な意味をこえて、あらたに、人間的な意味を豊かにはらむ母体となり得るし、事実なってきた。現代の自動車文明に侵される以前の歴史のなかの街路が、汲みつくせぬ人間的な意味になるために、都市生活の魅力と活力の絶えざる源泉となってきたことに、あらためて眼を開かなければならない。(中略)ルドフスキーは、イタリアや中近東やアジアなどに見られる、近代以前の文明の所産である街路とそこでの人びとの生活様式に細かな観察と鋭い洞察を加えつつ、それらへの並々ならぬ熱愛を示す一方では、アメリカ人の街路に対する画一的な考え方を皮肉たっぷり手きびしく批判している。アメリカ人は街路を自動車のための道路と考えていると。しかし、この批判は、残念ながらわれわれ日本人に対する批判としても受け止めなければならないだろう。


「私達の都市計画の話 新制中学の社会科副読本=都市を学ぶ」
 著 者 石川栄耀
 発 行 兼六館 B6版 1948年11月 

 ブックレビュー

序 私は三十年もの間 都市計画のお話をしつづけてきました
私は世の中でこんな大切な こんな面白いお話は ないものだと思っています
然(しか)し結局大人はダメでした 大人の耳は木の耳 大人の心臓は木の心臓です
そして大人は第一 美しい夢を見る方法を 知りません

夢のない人に 都市のお話をしたって ムダな事です
子供は夢を見ます 星の夢も花の夢も 百年後の日本の夢も
それは子供の耳が 兎(うさぎ)の耳のように大きく柔らかく 子供の心が バラの花の様に 赤くそして匂うからです
子供にお話をする事を 忘れていた 私は何と言う 手ぬかりをしていた事でしょう
それに第一子供こそ 明日の日本の建設者です

此の焼け跡ーー 一億五千万坪の焼け跡 此の焼け跡を北京の様に 不思議な美しさをもつ 町にする事も
巴里(パリ)やワシントンの町と 公園の様に美しくする事も 皆今日の子供達に任された仕事です
我々の時代は その準備をするだけの 時代なのでした
それを忘れて居ました

子供達よ (明日の建設者よ)
あなた達の手で 本当に美しい日本を造って下さい 後の世の人々に 焼けて返(かえ)ってよかったなア としみじみ 云って貰(もら)えるような 賢い美しい 町を造ってください

此はその為の 一応のテキストなのです
少しムヅカしいかも知れませんが 今年ムヅかしかったら 来年読んで下さい
解り易すくても 実のない本だったら 何にもならない筈(はず)では ありませんか
私は あなた方に 「云わなければならない事」は みんなお話したいのです だから私の話は何とかして 皆わかって下さらなければ いけません

私は あなた方を 少しばかり大人のつもりで お話してしまったかも知れません
あなた方も 少しばかり背のびをして 聞いて下さい いや何、おちついておよみになればそれだって ソーウむずかしい事では ない筈です

それからお願いしたい事は 皆様が 此の本をよんでしまったら 大切な所に赤い線をひいて ソツと お父さんやお母さんの お机の上におく事です
そして 「オヤ こりや何の御本だい」 とでも おっしゃれば もうシメシメです お互いにきこえない様に 手をたたいて ニコニコ笑おうじゃ ありませんか

では そんな事のある様に
 


 
 
 
 
  
 
 




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