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センコン製品の活用

「中村良夫の風景論」
  書き人 中井 祐 東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学専攻・助手
  発 行 社団法人日本土木工業協会・建設業界vol.50 2001年10月号(通巻593号)

 ブックレビュー

 地方に出かけると、現代の建設技術が山河の趣を一変させる光景を目の当たりにして、気が滅入ることがある。山奥まで進入し、しかも巨大化する土木施設。平和な田舎の風景に突如そびえ立ち、あたりを睥睨(へいげい)するツルピカの現代建築。この文明の申し子たちは、風景にとっては侵略者にすぎないのではないか、と思うことが再三である。

 ふと気づくと、私はいつも、おおらかな水田やひなびた山村のひなびた山村の風景を求めている。しかし同時に、土木エンジニアとしての私は、このノスタルジックな誘惑をぐっと飲み込もうとしてもがく。良くも悪くも
、建設という営為は人間の宿業である。しかも困ったことに、自分自身、ものを作ることが好きなのだ。つまり私の内には、土木というものづくりに対する憧憬と疑念とが、同居している。

 この矛盾をうまく解消するための処方箋を欲していた私は、京都大学の中村良夫教授に会いに出かけることにした。中村は、昭和四十年代、高度成長という日本の風景の激変期に、土木に景観工学を興した人物であり、風景学のバイオニアである。そして、景観研究とデザインの実践を仕事にする私にとって、常に道標のような存在なのである。

 土木工学科に進学して間もない頃、中村の著書「風景学入門」を読んだ私は、自分の好きな風景が、実は土木と強く結びついていることを教えられた。また、中村の設計になる広島太田川の護岸に遊んだ時には、その端正でのびやかな空間を満喫しながら、それまで興味の埒外(らちがい)だった河川空間が、風景デザインの対象としての可能性に満ちてることを知ったのである。

 しかし、太田川に続く中村の作品である古河(こが)市の総合公園には、当惑を隠せなかった。なにしろ、不思議な公園である。復元された御所沼を中心として、雑木林や農村風景など古河の原風景が全体のモチーフとなっているのだが、各所に奇妙な形の橋や四阿(あずまや)、築山がコラージュされ、しかも難しい地名が付されている。極め付きは「乾坤八相(けんこんはっそう)の庭で、風景にとって嫌われ者の代表格である土留めのフリーフレームや消波ブロック、つまりコンクリート工業製品の数々が、几帳面にディスプレイされている。そこには、中村が太田川でみせた平穏と安らぎの空間とは異質の世界が展開されている。謎めいた作品に見えた。

 私は中村の前で、古河公園が理解不能であることを白状した。すると中村は謎を明かすように、しかも難解な風景論を説き始めた。人間がある風景を、美しいとか安らぐだとか、つまり価値あるものとして眺めることがなぜ可能なのか。単に個人の主観や感受性の問題なのか。中村は、違う、と考える。皆が勝手気ままに風景を眺めているように見えるが、実は文化的に既に成立していた風景の味方に則って眺めているのである。たとえば多くの人が、現実には昔ながらの田園風景に暮らしたことがないにもかかわらず、田園風景を眺めながら懐かしいという感情を抱くように。

 では逆に、私たちは既成の見方を通してしか、風景に価値を見いだすことができないのか。それも違う、と中村は言う。たとえば、つまり、北斎の富獄三十六景を見た当時の人々は、絵を通じて、それまで知らなかった富士山の風景に出会い、新鮮な思いで眺めたことだろう。北斎が富士山の新しい見方を発見し、表現したことによって、それまで見えていなかった風景を現前したのである。このようにして、私たちは風景の新しい見方とその価値を、獲得していくことができる。
 
 中村はこのプロセスを風景の生成と呼び、極めて重要視するのである。中村はなぜ、風景の生成にこだわるのか。

 1963 年に東大土木工学科を卒業した中村は、エンジニアとして日本道路公団に就職している。ちょうど名神高速が併用を開始した年のことで、その時中村は、日本に初めて出現し高速道路の姿に強い感銘を受けると同時に、背筋に寒さを覚えたという。土木技術に、新しい風景を生み出す可能性と、風景を侵犯する危険性の両面を、見たのである。
 
 土木技術は、風景を大きく改変する。すなわち、昔ながらの風景を侵犯し、既成の風景の見方に真っ向から対立する。もし、技術によって変貌した風景に何ら価値を見出すことができないとすれば、私たちは、失われた古き良き風景を懐かしんで生きるよりほかにすべを失う。未来を生きるためには、風景の生成論が必要なのだ、と中村は考えるのである。

 中村はさらに語った。確かに、古き良き風景には安らぎがある。しかし、安らぎだけの世界というのは信じられない。時に新鮮な刺激に身を浸して新しい世界の見方を発見し、初々しい感覚を取り戻す。それが、生きているという実感なのだと思う、と。

 中村は古河の公園で、安らぎの原風景と初々しい感覚を取り取り戻す装置としての「乾坤八相の庭」を対置させた。そこには、土木技術が併せ持つ新しい風景を生み出す可能性と風景を侵犯する危険性の両面が、矛盾の中にこそ、次なる風景生成の萌芽を期待しているのかもしれない、と私は思った。 
 しかし話を聞きながら、やはり私は迷っていた。本当に、現代の土木技術と文明のあり方に、将来の幸福な風景の生成を、生の実感を、夢見ることができるのだろうか。中村は見透かしたように、「この先は、若い君たちへの宿題だね」と言って、悪戯っぽく笑った。(文中敬称略)




■商店街編■
店先の歩道舗装、店内の床面

■オフィスビル街編■
ビル敷地内外の歩道舗装、駐車場

■集合住宅編■
エントランス床面、ロビー床面、エントランスアプローチ、敷地舗装、集合住宅敷地回りの公道舗装

■個人住宅編■
玄関アプローチ、車庫床面、ベランダ・庭先の舗装

■電車等の交通施設編■
自宅・職場の最寄り駅までの歩道舗装、駐車場

■役所、公園等の公共施設、病院、介護、大学等施設■
施設敷地内外の歩道舗装、駐車場

■娯楽施設、観光地等の施設■
施設敷地内外の歩道舗装、温泉露天風呂足場回り

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